道の奥の奥、「みちのく」の古墳を巡る。 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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道の奥の奥、「みちのく」の古墳を巡る。

古代遺跡の旅【第4回】 

【そして、北辺の防御の最前線、白河関へ】

 旅の最後に白河関を訪れた。関東平野のどこまでも広がる平野部を抜けて北上すると、栃木県の北辺から白河関のあたりで地形が急激に変わってくるそうだ。峻険な山々が左右に迫り、さらに北へ、みちのくに向かうほど地形が狭まってくる。その奥まったところにあるのが白河関だ。天然の要塞のような地形を活用して、古代から重要な防衛拠点になったのだろう。

 静かな白河神社の参道を登っていくと、思った以上に深さと高さがある土塁と空堀が姿を見せ始める。ここは落ちたらそう易々とは登れないだろうと思わせる空堀がくねくねと続いていく。「曲輪(くるわ)」と呼ばれる防御施設はなかなかスケールが大きい。

深い空堀がくねくねと続いていく。

 白河関は奈良時代から平安時代頃かけて重要な国境の関だった。蝦夷(えみし)の南下を防ぎ、人や物資の往来を監視する役割を果たしていたが、律令制が衰退していくとともにその機能も失ったという。

 が、都人にとっては、『歌枕』として、どうやら憧れの地となったらしい。北の辺境の関は、寂寞とした思いと見知らぬ国への憧れを併せ持ち、旅心をくすぐる魅力があったのだろう。

 俳人・松尾芭蕉もまた、白河の関に思いを寄せていた。元禄2年(1689)に白河の地にたどり着いた芭蕉は、ここから、「奥の細道」=みちのくの旅へと踏み出した。

「白河の関にかかりて旅ごころ定まりぬ」

という有名な句を残している。
 

昼間も静かな白河神社。拝殿の裏手に延々と空堀が続いている。

 白河で立ち寄った古代の名残を思い浮かべてみる。東北地方の後期古墳の中では最大規模といわれる6世紀築造の下総塚古墳、7世紀後半~8世紀初頭に築造されたと考えられる畿内的な特徴を色濃く持つ谷地久保古墳と野地久保古墳、さらに古代の居館、郡衙、官衙、寺院、窯跡など、時代の流れを追うような遺跡が半径2km以内に点在している地域というのは、全国的にも稀だという。

 古墳の築造によって社会がまとまりつつある古墳時代から、国造、律令制へとダイナミックに社会が変化していく様子を、白河の地は古墳や遺跡を通してリアルに見せてくれる。一つの土地で体感する歴史ストーリーを、ここではテンポよく、見て回ることできた。

 一つひとつを個別に見ているうちは、まだその繋がりはよく分からない。たとえばこの古墳の被奏者は誰だったのか?この居館にはどんな人物が暮らしていたのか?などと断片的に考えるほかない。けれど、それらが徐々に結ばれていくにつれ、祖先がどう考え、行動し、何を造り、社会がかたちづくられていったのか?そのイメージが濃く立ち上り、謎もまた深まっていく。

 古代の遺跡や古墳は、だから面白くて、やめられない。

 最後に白河関を訪ねて、旅の足跡を振り返ると、律令国家の地方警衛の初期の姿をこの地に見ることができると思います。白河一帯は6世紀から7世紀にかけても遺跡分布が濃密で東北の関門として盛行していました。その地域が、律令国家の成立期にも継受されたようです。寺院が建立され、官衙ができる。おそらく、地元の豪族たちはその下で官衙につとめる役人になる。在地勢力の官僚化ですね。地域全体が中央政府の組織機構の中に組み込まれていったわけです。そのなかで、終末期古墳も築造されていたわけで、この旅では、ずっと古い、古墳時代から律令国家成立までの壮大なストーリーを眺めていくことができたと思います。古墳から白河関までの道程を追ううちに、大和からみた時の境界領域の在り方を古墳や遺跡を通して、考古学という学問の評価を得て、見ることができたのではないでしょうか。単にそこに古墳があるということに留めず、なぜ造られたのか、造墓の思想はどこから来たのか、何のために伝わってきたのか。その先に律令国家があり、さらに中世、近世の歴史につながっていくところまで見据えると、古墳の存在がさらに際立ってくると思います。近畿からも数時間で訪ねることができるようになりましたが、白河の地はみちのくの玄関口として、今もそこにあるのです。(今尾先生談)

 

【古代旅の先達からのメッセージ】

◆今回の旅のナビゲーター
関西大学非常勤講師 今尾文昭先生

◆プロフィール◆
今尾文昭 いまお・ふみあき
1955年兵庫県尼崎市生まれ。78年同志社大学文学部文化学科文化史学専攻卒業後、奈良県立橿原考古学研究所へ入所、その後、学芸課長、調査課長などを経て、2016年定年退職。現在、関西大学文学部非常勤講師・NPO東海学センター理事長。博士(文学)。専門は日本考古学。著書に『律令期陵墓の成立と都城』(青木書店)・『古墳文化の成立と社会』(青木書店)・『ヤマト政権の一大勢力 佐紀古墳群』(新泉社)・『世界遺産と天皇陵古墳を問う』(思文閣出版)・『古墳空中探訪』[奈良編]・[列島編](新泉社)『天皇陵古墳を歩く』(朝日選書)ほか。

天皇陵古墳を歩く
『天皇陵古墳を歩く』
奈良・大阪に点在する大型前方後円墳はその大多数が天皇陵に治定、立ち入りが制限されてきた。近年、研究者への限定公開が進められている。第1回の公開から立ち合ってきた著者が主要な大型古墳の周囲を踏査。年代観を示す。
発行:朝日新聞出版
定価 :1,870円



飛鳥への招待
『飛鳥への招待』
高松塚壁画発見以来、重要な遺跡の発掘が相次ぎ、歴史的景観の整備も進んだ飛鳥。また、『万葉集』の故地として、あらたな魅力を発信しつつある。読売新聞奈良版に足かけ三年にわたり連載された「飛鳥学」は、考古学・古代史・万葉学・民俗学など分野を横断した研究者の最新知見をわかりやすく紹介し、好評を博した。本書はその連載に加え、第一線の研究者による座談会、現地を体感する周遊紀行の三部立てで構成。飛鳥の魅力を一冊に凝縮した決定版ガイド。
発行:中央公論新社
定価:2,090円

 

◆ちょっと立ち寄り〜古代を学び、古代に触れる〜◆

◆福島県立博物館
 福島県の古代から現代までの歴史・文化を紹介する博物館として、考古、歴史、民俗、自然、美術の資料を展示している。常設展示のほか、季節ごとの企画展、個別のテーマを設けたテーマ展・ポイント展を開催。展示をより深く知るための講座や、ワークショップも行っており、こどもからおとなまで楽しめる博物館となっている。常設展にて「会津大塚山古墳」からの出土品やパネルを見ることができる。

◆住所   〒965-0807 福島県会津若松市城東町1-25 
◆電話番号 0242-28₋6000
◆開館時間  9:30~17:00(入館は16:30まで)
◆休館日  毎週月曜日(月曜日が祝日・振替休日の場合は火曜日)
        祝日の翌日(土・日にあたる場合は開館)
        6/29(火)、12/21(火)は館内整備休館日
        12/27(月)~1/4(火)は年末年始休館日
◆観覧料  常設展 一般・大学生280円(20名以上の団体は220円)
高校生以下無料  ※企画展によって料金が変わる

会津大塚山古墳の出土品も展示している。

 

◆福島県文化財センター白河館(愛称「まほろん」)

福島県教育委員会が発掘調査した遺跡の出土品と調査写真・図面等の記録を一括収蔵・保管するとともに、これらを活用した体験型フィールドミュージアムとして、文化財に親しむ機会を広く提供している。常設展示では、現代から旧石器時代までの各時代の居住空間の情景、野外では、竪穴住居や古墳、中世の館などを復元展示している。また、収蔵資料を基にした、文化財にちなんだ各種の体験活動も行っている。

◆住所    福島県白河市白坂一里段86
◆電話番号 0248(21)0700
◆開館時間 午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
◆休館日  毎週月曜日(国民の祝日・振替休日の場合は除く)、国民の祝日の
        翌平日、年末年始
◆観覧料  無料

再現された古墳時代の住居の室内

 

◆協力・株式会社国際交流サービス

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郡 麻江(こおり まえ)

こおり まえ

ライター、添乗員

古墳を愛するライター、時々、添乗員。京都在住。得意な伝統工芸関係の取材を中心に、「京都の人、モノ、コト」を主体とする仕事を続けながら、2018年、ライフワークと言えるテーマ「古墳」に出会う。同年、百舌鳥古市古墳群(2019年世界遺産登録)の古墳ガイドブック『ザ・古墳群 百舌鳥と古市89基』(140B)を、翌2019年、『都心から行ける日帰り古墳 関東1都6県の古墳と古墳群102』(ワニブックス)を取材・執筆。古墳や古代遺跡をテーマに、各地の古墳の取材活動を続ける。その縁で、世界遺産や古代遺産を中心にツアーを企画催行する株式会社国際交流サービスにて、古墳オタクとして古墳や古代遺跡を巡るツアーなどの添乗の仕事もスタートしている。

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